東京ずらし旅3
原宿から山手線で渋谷へ。
ここから向かうは
松濤美術館
渋谷で井の頭線に乗り換えて一駅『神泉』(しんせん)から歩くのが近そうだったけど、出来るだけ体力を消耗したくない。調べたら渋谷駅からタクシーでワンコインぐらいで行けそうだったから、タクシーで移動することに。
ハチ公のいる出口へ
ハチ公に会うのは何十年ぶりか?
ハチ公と一緒に写真を撮るため、外国人の行列ができていた(゚д゚)!入れ替わりの合間にパチリ。
渋谷駅、只今大々的な改装工事中で、なんだかよくわからない状態(~_~;)交通整理のおじちゃんに、タクシー乗り場の位置を教えてもらいやっと見つけた。
が、ぜんぜんタクシーこないよ!私の前に4人待っているから、前のおばちゃんに聞いてみたら、結構待っているけど来ないらしい。これはいつになるかわからないから、もう井の頭線で神泉駅まで行こう!
だったら、最初からそうすればよかった。体力温存のつもりが、余計な体力を使う羽目になったよ・・・。
その途中で出会った大きな壁画。
岡本太郎の
明日の神話
そういえば以前、渋谷駅にこの壁画が設置されたニュース見たな。ここにあったんだ!思いがけず見ることになった。2008年11月にここに設置されたようね。
この壁画、長いこと行方不明になっていてメキシコで発見された。こんなにデカイものがどうして行方不明になるんだ???
と思って、後で調べてみたところ、もともとメキシコのホテルの壁画として依頼されたらしい(1968年から1969年に制作)。ところが、最終段階にきて依頼者の経済状況が悪化、未完のまま放置されることに。
その後ホテルは他の人の手に渡り、壁画は取り外され、そのまま行方不明になっていたみたい。
明日の神話
なんか不穏な空気をはらんでいる・・・。1954年3月1日アメリカが行った水爆実験の被害にあった漁船『第五福竜丸』。その瞬間をモチーフにしているらしい。第五福竜丸は静岡県焼津市の船だったから、焼津の資料館で見たことがある。もう、ずいぶんおばさんになってからだけどね。
被ばく者の手記や当時の様子など見て、核のおそろしさやその後も続く後遺症、被爆者の怒りや無念、広がる差別や中傷、初めて身近に感じた。核は減るどころか増えている。誰かが血迷ってボタンを押しはしないか、不安は更に増している。
そういえば今年、第五福竜丸のことを小中学校の教科書から削除するにニュースが気になった。その後どうなったんだった?
おっと、話がはずれた(^^;
いやいや、そんな絵をホテルの壁画に描いたとはビックリだけど、岡本太郎さんとしては、そんな逆境からも立ち上がる人間の力や希望を描いたのであって、決して不穏な絵ではないようだ。
大阪にある『太陽の塔』と対をなす代表作とされる。
1970年大阪万博のテーマは
『人類の進歩と調和』
大阪万博といえば、大丈夫なのか?あっ、2025年開催のほうね。こちらは『いのち輝く未来社会のデザイン』がテーマらしが、輝くどころか、どんどんくすんでみえる。
また話が・・・。
壁画は劣化が進んでいて長い修復にはいるようで、その前にみれたのはラッキー♪NPO法人明日の神話保全継続機構というところが、修復費用のクラウドファンディングを行っていて見たところ、最低の支援額が5000円。パート主婦の小遣いではちょっと(~_~;)3000円からにしてくれればいいのに、なんてね。(学生枠では3000円あり)
ただ、思ったのが、またこの場所に設置されるのかな?ここは連絡通路で、この絵に気を止める人はいないように見えた。私も立ち止まって眺めたかったけど、通行量も多くて止まって鑑賞なんてできなかった。
なんか、もったいないな。
後日、岡本太郎記念館館長の平野暁臣さんが『明日への神話』について語っている記事を読んだ。この絵はもともと壁画だった、壁画というのは景色の一部になって溶け込むもので鑑賞するものではない。知らないうちに脳に刻まれるもの。
なるほど、そういう理由でここに設置したってことなのね。だけど、スマホばかり見て歩いている現代人の脳に、どれだけ刻まれるんでしょうね?
正直、ぱっと見あまり好きな作品ではない。
だけど、忘れられない絵でもある。
さて、井の頭線で『神泉駅』へ。
ああ、体力温存と時短のつもりが逆になったよ。まぁ、そのおかげで岡本太郎作品にも会えたし、良し良しか。
渋谷からたった一駅なのに(井の頭線)ここは静かな住宅街。古くから湧水があり、霊泉として知られた場所らしい。だから神泉なのか。
歩いて松濤美術館へ。
つづく。