ロリスのたまご

50代からの人生リスタートブログ

赤レンガが映える静岡県磐田市【旧赤松家】のお屋敷

こんにちは、ロリスです。
今朝は雷がすごかった!
その音で目が覚めたよ。
午後からは雨もあがってまた暑い。

さて、8月の備忘録

静岡県磐田市にある
旧赤松家
のお屋敷を見学してきました。

赤レンガが映えるお屋敷。
和洋ミックス感がたまんないね。
日本風な瓦屋根は、最初はついていなかったらしいです。

赤松則良(あかまつのりよし)
1841年~1920年
幕末から昭和にかけて活躍した人。

1841年 江戸で生まれる。
子供のころから勉学のできる優秀な人だったみたい。祖父の影響か?はやくから海外を視野に学んでいたみたいです。

1860年 日米修好通商条約の批准書(ひじゅんしょ)交換の使節団として咸臨丸(かんりんまる)で渡米(19歳)

この咸臨丸江戸幕府がオランダに注文した日本の蒸気軍艦で艦長は勝海舟ジョン万次郎(通訳)や福沢諭吉なども乗っていた。教科書で習った名前がずらり(゚д゚)その中の1人だったんだね。

1862年 幕府派遣の留学生の1人としてオランダに留学。造船技術について学ぶ(21歳)

1867年 大政奉還ですよ!江戸幕府15代将軍・徳川慶喜が政権を返上。

1868年 オランダで大政奉還を知った則良は留学を中止し帰国(27歳)
1868年 8月20日結婚(27歳)

明治元年が1968年9月8日だから、ぎりぎり江戸時代か!そして、10月に今の磐田市に移住、茶園を開く。27歳は人生のターニングポイントだねぇ。

こちらは奥様がお召しになった着物。
西陣織なんだって。
家紋の竜胆車(りんどうぐるま)が織られています。

写真でも見るより実際は鮮やかな青紫色
竜胆の花のイメージなのかな。
西陣織っていうと豪華絢爛なイメージだけど、どこか清楚で上品なお着物。
すごく素敵だった☆

こちらも家紋の入った提灯に木箱。
竜胆車の家紋かわいい。

きっとかなり優秀な人だったんだろう、新政府の命令で出仕。海軍兵学校の教授となり、1886年4軍人として最高の地位となる(45歳)

1887年 勲功により男爵を授与。海軍中佐となる(46歳)

1897年 貴族院議員、日本造船協会初代会長に就任。1917年まで21年間務める。

1912年 奥さんを亡くされ、その後長男の家に住むため上京(70歳)
1917年 すべての公職を引退(76歳)
1920年 病により逝去(78歳)

幕末から昭和はじめ、激動の時代の日本に貢献した人なんだね。若いころのちょん髷に刀をさした姿から、最後は髭の男爵姿!容姿も激変だよ。改めてすごい時代だったんだな。

蔵、現在は展示室になってます。

レンガを使ったのはオランダに親しんだためか?田舎に建ったレンガの屋敷に、さぞ昔の人たちは驚いただろうね。

因みにこのレンガの積み方は『フランス積み』というらしい。オランダ積みじゃないんかい!

展示物の中に、徳川家達(とくがわいえさと)から送られた書の掛け軸があった。徳川家達徳川宗家16代当主で明治初期の静岡藩

徳川最後の将軍は慶喜(15代)なんだけど、もしかしたら家達が15代将軍になった可能性もある。当時4歳と幼かったので慶喜が将軍になったらしいが、もし家達が15代将軍だったら?慶喜大政奉還しなかったら?まったく違った日本になっていたかもね。

家達からの書は2つあった。同じ貴族院議員だったから交流があっんだろうか。

この日は雨の予報だったのにカンカン照り(~_~;)
あっちー!かったけど、レンガは写真映えしたね♪

則良がどんな人柄だったのか?それについては分からなかったけど、とても知的で品があって、新しいことへの好奇心旺盛な人という印象だった。

咸臨丸での渡米の様子は、福沢諭吉が日記でも記していたようで、勝海舟は船酔いで休んでばかりだったとか、ジョン万次郎は元漁師だから船酔いはなくよく働いたとか(笑)読んだらおもしろそうだな。

以上、8月の備忘録でした。

ではまた('ω')ノ

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